ジャーナリスト後藤健二さんが残したかったもの

こんにちは。コアネット教育総合研究所松原和之です。

中東のテロ組織「ダーイッシュ(イスラム国)」に殺害された後藤健二さんは、主に紛争地域や被災地など過酷な生活を強いられている人々を取材するジャーナリストでした。今回のダーイッシュに拘束された事件でも、「なぜ危険な地域に出掛けて行くのか」、「自ら危険な地域に行ったのだから自己責任だ」という批判もあったと聞きます。しかし、彼は、誰も伝えない現実をきちんと伝えたかったのだと思います。それがジャーナリストとしての使命だと感じていたのでしょう。

私の手元に1冊の本があります。後藤さんが著した「もしも学校に行けたら 〜アフガニスタンの少女・マリアムの物語」という本です。これは、2001年から2002年にかけてのアフガニスタンの首都カブールに住む家族を取材したノンフィクションの物語です。
アフガニスタンは、1978年以降内戦が続き、1990年代からはタリバンが支配をしていました。2001年9月に米国同時多発テロが起きてからは、米英等によるアルカイダタリバンに対する攻撃が始まりました。そして同年11月にはタリバン政権が崩壊します。
後藤さんの著書はちょうどこの頃のアフガニスタンを描いています。

主人公の10歳の少女マリアムは、カブール市内に母と兄2人、弟1人の5人家族で住んでいました。父親は数年前に病気で亡くしています。実は、この家族を襲った悲劇はタリバンによるものではなく、米軍によるものだったのです。2001年10月に米軍の爆撃機が誤って住宅地に爆弾を落としたのです。この誤爆によって家の一部は破壊され、父親代わりで働き頭だった長男を亡くしました。
後藤さんがこの家族を訪れ、初めてマリアムに会ったのは、誤爆から40日経った日のことでした。家族は長男の死の悲しみも癒えず、生活費もままならない中で何とか生き長らえていました。彼は、その時の家族の様子を克明に取材し描いていました。
その後、アフガニスタンは徐々に復興し、それまで女子は通うことができなかった学校が再開し、女子も学校に通うことになりました。マリアムも色々な紆余曲折がありながら、物語の最後には元気に学校に通うようになります。本を読むことが好きな少女は学校に通う夢を実現したのです。

著書のあとがきに後藤さんは、このように書いています。

わたしは、なぜ、この戦争と避難民の存在が日本であまり知られていないのか、大きなショックを受けました。
わたしたちは、単なる事件事故のニュース、アメリカ軍の動きばかりに気を取られすぎているのではないか?
対テロ戦争」「テロとの戦い」とわたしたちがまるで記号のように使う言葉の裏側で、こんなにたくさんの人たちの生活がズタズタに破壊されていることを、知らないでいたのです、あるいは知らせずにいたのです。自分は、いかに盲目的だったかと激しく自分を責めました。
アフガニスタンの戦争は、まったく終わっていません。それどころか、世界を巻き込んで広がっています。
その中で、唯一の希望は子どもたちです。マリアムのような子どもたちが、アフガニスタンにはたくさんいます。
わたしたちにできることは、さまざまな方法で、彼らに手をさしのべ続けることなのではないか、そう思います。

後藤さんが危険をおかしてまで伝えたかったこと――それは、戦争やテロの裏側で犠牲になっている人たちに、私たちができることで手をさしのべようということです。

後藤さんの死を知ったあと、私たちは本当に必要なことを出来ているのでしょうか。シリアや中東の他国において戦争の裏側で苦しんでいる人々に手をさしのべることができているのでしょうか。報復のための攻撃がそれだとは、私には決して思えません。

同じ過ちを繰り返さないことを祈ります。