土佐藩邸→映画発祥の地→立誠小学校→シネマ・プロジェクト

こんにちは。コアネット教育総合研究所松原和之です。

京都の繁華街木屋町に、元・立誠小学校の建物があります。昭和3年に建設された小学校の校舎は、高瀬川を石橋で渡って入る瀟洒な洋館のようなモダンな建物です。
小学校は平成4年に閉校になり、現在は地区で活用しているようです。その一つ、「立誠・シネマ・プロジェクト」では、校舎内に特設シアターを設置し、映画上映をしています(私は時間がなくて見れませんでしたが)。

なぜ、ここでシネマ・プロジェクトを実施しているのかというと、実は、この場所が日本の映画発祥の地と言われているからです。立誠小学校ができる前は、この場所には京都電燈株式会社(現在の関西電力)の社屋があり、その中庭で日本最初の映画(シネマトグラフ)試写実験に成功したのだそうです。
そのような関係もあり、映画で地域を盛り上げようという企画につながっているのだと思います。ここには、「シネマカレッジ京都」もあり、映画人の発掘と育成をする拠点にしていこうという計画もあります。

この元・立誠小学校の校門前には「日本映画発祥の地」の看板が立っているのですが、すぐ横には「土佐藩邸跡」の石碑も立っています。
そうです、この立誠小学校は、旧土佐藩邸の跡に建っているのです。坂本龍馬中岡慎太郎もこの辺りを歩いていたのでしょう。
歴史は重ねられていくものですが、この土地は、その時代ごとにとても重要な位置づけにあったようです。土佐藩邸の一部が京都電燈になり、日本初の映画試写実験が行われました。その後、小学校になって子供たちを育て、今また映画のメッカとして活躍しようとしている。そんな重要な役割をこなしてきました。

高瀬川の緩やかな流れは、そんな歴史の積み重ねをずっと見つめ続けてきたのでしょう。



元・立誠小学校は、アーチ型の玄関や装飾を施したバルコニーなど意匠を凝らした外観です


シネマ・プロジェクトは、現在、江ノ島プリズムなどを上映をしています


立誠小学校は、映画発祥の地でもあります


土佐藩邸は幕末の歴史の一幕を演じました


高瀬川の流れはいまも穏やかです