“会津の奇跡”――会津若松ザベリオ学園の改革 第2回

こんにちは。コアネット教育総合研究所の松原和之です。

会津の奇跡の続きです。第1回は過去記事をご覧ください。

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■県立高校の序列化への挑戦

このような中で経営を任された守屋学園長と関校長は、まず詳細なマーケティング調査から始めた。県立高校の校長を務め、県教育委員会でも重要ポストを歴任していた関校長は県内の生徒動向に詳しかった。まずは、少子化で生徒数が減少する中で、女子校としてやっていくのは難しいことを早めに判断した。会津地方の高校受験生総数は2,000名足らず。女子だけでは1,000名に満たない。県立高校がひしめく中で、私立として女子だけで120名以上を確保することが困難なことは火を見るより明らかだった。
当時、会津では、県立会津高校、県立葵高校、県立会津学鳳高校というように難易度順に序列ができており、出願前の志願者調査によって各校の志願者数が分かると、上位の学校の合格が危ぶまれる受験生は次のランクの学校に志願し直すという調整が行われており、上位校といえども不合格者はわずかしか出ない入試を行っていた。つまり、県立高校の完全序列化がされており、私立高校は最下層の生徒を取らざるを得ない状態になっていた。したがって、会津若松ザベリオ学園は、県立高校に合格できる学力がない生徒を単願で受け入れる入試を実施していたのである。少子化で受験生総数が減ってしまえば、まず私立高校から削られてしまう構造になっていたのである。
関校長は、この構造からの脱却を目論んだ。2011年度入試からは、まず中学校で男子募集を開始し共学化に踏み切った。同時に高校では、特進コースを設置し、併願入試を始めた。併願入試を始めると言っても、県立高校が完全輪切りになっているので、なかなか簡単なことではない。関校長はそこにどう切り込んだのか。

■地域の教育力向上を旗印に切り込む

関校長は赴任するとすぐに、自ら地域の中学校を訪問し、校長や進路指導部長と話をすることを始めた。高校の教員が中学校訪問するというと、「本校に生徒を送ってください」というお願いになってしまうことが多い。しかし、関校長は違った。「会津地区の教育力を向上させるために本校はどのような教育をすればよいでしょうか」という教育論をふっかけた。会津若松ザベリオ学園が良い学校を作るのだという意思を見せるとともに、私立といえども地元地域の教育に貢献する役割がある、逆にいえば、私立も地元で存在価値があるのだという世論を作っていったのである。
その中で出てきたのが、併願入試である。優秀な生徒でも会津高校に届かないと危惧される場合は事前にランクを落として葵高校に願書を出す、同様に葵高校に少し届かないと心配な生徒は別の高校に志願を出さざるを得ないという慣習があった。生徒には受験に向けたチャレンジ精神がなくなるし、序列化されたワンランク下の学校に通うことになった生徒がやる気を取り戻すことは並大抵ではない。また、わずかながら県立高校に不合格になる受験生もいるが、その子たちは、遠く離れた郡山市福島市の私立に通うことになる場合も多い。地元会津若松に県立トップ校と併願できる学校が出来ることは、会津地区の教育力を上げるためにも必要なことだという意見が続出したのである。
中学校の教員にそこまで言わせれば、もうこちらの術中にはまったも同然である。
「では、会津若松ザベリオ学園に県立トップ校の併願となる特進コースを設置しましょう。そうすれば会津高校や葵高校にチャレンジする生徒を増やせるでしょう」と関校長は言って帰ってきたのである。

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続きは後日!